創立150年に際し、様々な方から義塾や社会へのメッセージをいただきました |
塾の150周年おめでとうございます。大変喜ばしいことでございます。通信教育課程を卒業してから、ずっと考えているのは通信制ロースクール(スタンフォード大学ロースクールが通信できるとのことなので、そちらで御世話になる予定です)です。「世界の慶應」を目指している本塾大学がアイビーリーグやケンブリッジ、オックスフォード大学と対等に戦うためには、通信教育の拡大(SFC、理系学部、専門職大学院等)が必要です。今の現状を考えると厳しいと言わざるを得ません。あと、交換留学のリストを見るとアイビーリーグが1校もノミネートされていま せん。悲しい現実です。いづれにせよ、慶應は国内よりグローバルコンペティションで勝つための戦略をもっと打ち出すべきです。私が提案したいのは、文文融合、理理融合学部の設立およびニューヨークシティキャンパスの設置です。
慶應義塾大学の卒業生です。現在、IT系のコンサルティングファームに勤務しています。義塾は、公認会計士試験合格者数日本一だったり、上場企業の社長・役員を最も多く輩出したりと、産業・ビジネスの分野での活躍度が高い大学だと思います。そうした強みを活かし、今後も実学を重視する姿勢を崩さず、躍進していってもらいたいと思います。大学教育だけでなく、初等中等教育でも、義塾が果たす役割は大きいと思います。 現在の日本の教育は、多くの問題を抱えていると思います。「いじめ」「基本的なマナーすら知らない生徒」「受験勉強しかせず、将来のビジョンを描こうとしない生徒」といったものが、その典型だと思います。義塾が実学や初頭中等教育の先進的なビジョンを示し、実践していくことで、日本が変わっていくことを切に願っています。
慶応150周年おめでとうございます。私は、慶応に入学して一年が経ちました。国立大に落ちて慶応に入学したわけですが、今では、慶応でよかったと強く思っています。私学ならではの柔軟性と長い長い伝統を引き継ぎつつ、ますます良い大学にしていけたらいいと思います。
PS今年慶応に入学された皆さん、慶応は最高だよっ!
現在、福澤諭吉先生も学ばれた国で、改めて学問の世界に身を投じてみようかと考えているところです。創設まもない頃のSFCを卒業してから早 10年。在学当初は「革新的な大学」と騒がれていたSFCで学んでいることにうぬぼれて、ただそこに「居た」だけだったように思いますが、10年経って自分の関心ごと、あるいは追究してみたい課題が絞り込めてきた今、SFCにはそれらを研究するためのリソースが如何に多く存在していたかに気づき、何と恵まれた環境にいたのか、なぜそれらを活用してこなかったのか、今更ながら悔やまれる毎日です。しかしながら、幸いにも、SFCのコンセプトである「問題発見・解決」の姿勢は身についていたようで、それらは今、海外のフィールドでも大変役に立っています。慶應は、古きよき伝統も大切に保持しながら、世界で、あるいは未来に必要とされるスキルをも見つめていたのだなと感じずにはいられません。この ような大学で学べたことを誇りに思い、今後も入学する学生が同じような誇りを持てるよう、慶應にはさらなる発展を遂げていってほしいと願っております。
創立100年の時に5歳、125年には30歳、150年は55歳となる。3つの記念の時に、この世に生を享けていることを素直に慶びたい。母校、慶應義塾が未来永劫に繁栄し、我が国の文運の向上に寄与することを確信している。塾員の更なる結束を期待してやまない。
普通部から大学院博士課程まで、15年間に渡って塾にお世話になりました。今は地方の単科大学で教員をしています。勤務先の大学で、学生プロジェクトの世話をしています。学生メンバーが、地域の小中学校の総合学習の時間を利用した理科実験授業や、独自の実験教室を開催するというものですが、学生達は、教員の指示に単に従うのではなく、自分達の責任の下で自律的な活動展開しています。この活動を通じて私が学生たちに身に付けて欲しいと願っているのは、「自ら考えて行動する独立した個人として、責任感と自主性を持って行動すること」、「個人プレーではなく、全員が協力・協調しながら、目標を達成すること」と言い表せると考えています。そして、この2点は、創立150周年のコンセプトに描かれている「独立して生きる力」「協力して生きる力」に対応するのかなとも、感じています。塾からは遠く離れたところでも、未来への先導者となり得る人物を育てることができるように、自分自身も日々努力していきたいと思っています。
創立150年おめでとうございます!!福沢諭吉さんを尊敬していて、大学は慶応に入りたいですっ!!これからも世界 に羽ばたく慶応を応援しています!!
昭和44年法律学科を卒業しました。在学中は、音楽関係のクラブ活動に明け暮れ、外資系の情報機器会社に就職し、昨年リタイアしました。その間に110年三田会の一員として、1999年の連合三田会大会に携わり、学部/学科をこえて多数の友人を得ることができ、掛替えのない生活を送ることができるようになりました。現在も特に懇意にお付き合いいただいているクラスメ-トとは、数ヶ月おきに横浜/関内の行きつけの店であっており、諸先輩/同期の友人ともお会いする機会が多いこのごろです。創立150年の節目の年を出来るだけ多数の先輩/友人とお祝いしたいと考えております。
「慶應が社会の先導者」と中等部から大学にかけての10年間言われて育ってきましたが、いざ社会に出てみると周りは東大、京大、一橋などなどと、上には上がいるもので、更なる社会の先導者達がいる事に危機感を覚えながら生活をしています。と、言ってもその危機感とは、出世好奇心の危機感であり、更なる課題をもらえた事に社会に感謝いています。慶應は、東大や京大等と違い、実のところ社会のトップにはなれませんが、だからこそ、常に目的を持って行動できるのが強みだと思います。これからも、慶應義塾の更なる発展を心より望みます。
慶應義塾万歳!
2008年は慶應義塾創立150周年と言う記念すべき年になります。私自身は大学生活の4年間だけでしたが、今も多くの思い出があります。日程があえば毎年の連合三田会には家族で出席して終了まで友人家族と話しこんでおります。こういった場を提供してくれるのも慶應ならではのことであると感謝しております。自分一人の力では何も出来ませんが、慶應義塾卒業の誇りは持ち続けたいと思っており、家族を愛する気持ち同様に母校を愛し、かつ会社を愛することが今の自分にとって最も大事なことではないか、と思っております。
毎日やつらと集まった日吉の広場の木の下の思い出も、150年の歴史においては一枚の葉っぱのようなものか。
創立150年おめでとうございます。
思えば、もう50年経ったんです。というのも私が入学したのは、昭和33年、丁度100周年でした。その頃は、今では考えられないと思いますが、入学式が三田の広場(屋外、空の下)でした。今、この処は何が建っているんでしょうか?日吉では、新校舎が建っていましたが、かまぼこ教室(米軍の施設だったんでしょうか)でドイツ語を勉強していました。学食も木造で、50円?のカレーがなつかしい。日吉記念館は卒業式でしたか?三田の学食(木造2階建、床は油葺き)には熊谷守一画伯(?)の大きな絵があったような気がします。東京タワーが出来たのが昭和33年。残念ながら日吉に通っていましたので、出来つつあるのは知りません。「幻の門」前に郵便局があり、都電も走っていました。三田に通うようになったら、南門があったような気がします。田町までの道すがらはマージャンやさんが多かった。学生服やさんや学帽(今は応援部しか被ってないでしょうが、アンパン帽、油で磨きました。田舎では早稲田の角帽がもてましたが)屋さんが沢山あって、入試合格電報をくれたものです。(そこで学生服を買いましたが)夕日ヶ丘3丁目の頃でしたか。何か純粋な時代でしたね。コピー機もなく、ノートを写したものです。37年に卒業してからが、東京が大きく変わっていきました。それからズーット地方にいると、慶應って、遠い昔の処のような気がします。塾からの便りなどで思い出すのみです。でも、心のふるさとではあります。